ゆらぎについて
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2023.02.11
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最近、ご縁がありクラッシクの音楽会へ足を運びます。
昨年夏は、三浦一馬率いるキンテート ピアソラ ザ ベスト を聴く機会にも恵まれ。
すっかり惹き込まれました。
そこでひとつ、音楽に纏わるエピソードです。
<ゆらぎについて>
以前、もう何十年も前にですが、しきりにf分の一ゆらぎ という言葉を耳にする時期がありました。
敬愛する音楽家 世界的な存在でもある坂本龍一氏が、音楽の音づくりをする時に、シンセサイザーなどに入力する音にもf分の一ゆらぎ を意識すると以前話されていた記憶があります。
そう。自然界に存在するものは全て〝ゆらぎ〟をもっています。一定のものはない、と言ってもよいのではないでしょうか。
例えば、寄せては返す波。それはいっときたりとも留まらず、その瞬間瞬間に全てが違う波だと言えるのではないでしょうか。
もの凄く微細なレベルにまで突き詰めれば同じものはひとつとして無い、と言い切れるものではないでしょうか。
だからこそ私たちは非常に美しいと感じ、波の音自体も大変耳に心地よく響きます。音楽に、美しさを追求する名音楽家が、デジタル音にゆらぎを求めて表現して行くのも、当然と頷けますし、印象深いエピソードでした。
そう言う意味で言えば。 生演奏の生楽器…つまり電気的なものを使用しない、バイオリンはピアノ、チェロ、トランペットなどといった楽器で奏でる音も、そういう意味でゆらいでいるのでとても美しく心地よい。
何故なら、〝人間そのもの〟がゆらぐ存在だから。
作り出される音楽は、当然ゆらぎに満ちています。
音楽会の会場は、期待に溢れて、でも静まり返る。
聴衆、そして微細極まりない旋律を人が聞き取る音域の限界を超えるかの様に鳴らし、奏でる音楽家との間に。美しい音(響き)が生まれます。それもやはり、全て、ゆらいでいる。
ゆらぎ と光とを考えた時に、やはり自然の炎とそこから生まれる〝光〟は大変美しい。
反して。人工的なLED電球から放たれる〝光〟は一定であり、それは人間そのものの性質と異なったものです。〝ゆらぐもの〟と〝ゆらがないもの〟。
恋を表現する時に、〝心が揺らぐ〟という言葉が生まれます。それは、私たちが味わう感情の波、寄せては返し変化して行くもの。ゆらいでいるものには、〝決まった未来〟などないのです。そこには無限に変化して行く可能性が秘められている。だからこそ、恋には不確定な不安があり、不安だからこそ実る時の喜びもより大きいのではないでしょうか。
F.Yoshikawa